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インドネシアの医療現場で見つけた「仕事の意義」と「挑戦する姿勢」 

大手製薬会社の林さんは、2018年に留職に参加しました。「インドネシアの医療現場で命に向き合う経験をして、自分の仕事の意義を見つけられた」という林さん。留職後は新規プロジェクトの立ち上げなどを担当されています。留職での経験と、その後の活躍について伺いました。

インドネシアでがむしゃらに挑戦した6ヶ月

――留職に参加したきっかけを教えてください
留職は入社4年目に参加しました。当時はMRとして国内で医療従事者に対し医薬品の情報提供を担当していましたが、漠然と海外で働きたいなと思っていました。一方で具体的なイメージがなかったので、まずは留職の機会を活用してみようと応募に踏み切りました。

派遣先はインドネシアを拠点に活動するRachel House(レイチェルハウス)でした。レイチェルハウスはがんやHIV、AIDSなどで苦しむ子どもたちや患者家族への緩和ケア、地域コミュニティの医療従事者への研修事業などを展開するNPOです。

実を言うと、私は英語がそこまで得意ではありませんでした。そのためレイチェルハウスとの面談では「6ヶ月の活動で応募しているけど、まずは最初の1.5ヶ月の貢献次第で、残りの活動期間を決めさせてほしい」と言われ、条件付きで留職活動が実現したのです。渡航前は「1ヶ月半でとにかく成果を出さないと!」という気持ちでいっぱいだったことを覚えています。

――実際に現地でどのような活動をしましたか?
当初の私の担当はファンドレイジング業務でした。しかし、「英語に自信がないなかで、どうしたら成果を出せるだろうか?」と考えた結果、団体グッズやイベントで使用するチラシなどのデザインリニューアルをまず提案しました。「言葉じゃなくても伝わるもの」で貢献しようという作戦です。

デザインに携わるのは初めてでしたが、実践しながら学んでいきました。よりレイチェルハウスを知ってもらえるように、デザインには団体が支援する子ども達が描いた絵を使用し、ポジティブな印象を持ってもらえるように色合いにもこだわりました。

創り上げるまでにはレイチェルハウスの主催するチャリティバザーを手伝ったり、ナース達に「どっちのデザインがいい?」と聞いて投票してもらったり。彼らの多くは英語が通じなかったので、ジェスチャーと翻訳アプリでなんとか私の伝えたい気持ちや想いを共有していきました。すると相手も私の想いを汲み取ってくれて、言語を介さずとも現地スタッフとの距離をぐっと縮めることができました。

とにかく成果を出さないと!という気持ちでがむしゃらに走った1.5ヶ月。現地には相談できる相手もおらず、私にとって一番チャレンジングな期間でしたが、最終的にはデザインしたチラシやポストカード、マグカップなど多くが団体の商品ラインナップに採用され、私の留職活動期間も6ヶ月へ延長決定と、ひとまず最初の目標を達成できました。

手掛けた商品はチャリティバザーでも販売した

この最初の1.5ヶ月で現地スタッフとも打ち解けられたこともあり、その後はミーティングで意見を求められる機会が増え、私自身も日本出身だからこその視点や意見を活かし、提案や質問をしていくようになりました。6ヶ月の活動ではデザインだけでなく、日系企業のスポンサー獲得やカンファレンスの運営など、色々な挑戦ができました。私がデザインした商品が今でもレイチェルハウスで販売されているのを見ると、少しは貢献できたのかな……という気持ちになりますね。

日本でも異なる環境で挑戦し続ける

ーー留職後はどのようなキャリアを経験されましたか?
帰国後は医薬品のマーケティングを1年半、ビジネスモデルの変革に1年半関わった後、現在は疾患の早期発見・診断のプロジェクトチームに所属しています。これらのキャリアのなかで、留職での経験がかなり活きていると感じています。

それは例えばスイス人が上司となったとき。留職で「言語は手段。大切なのは自分の想いと熱意」ということを実感していたので、英語でのコミュニケーションには抵抗がありませんでした。この業務以外でも答えが見えない業務を進めるなか、手探りでの検討もありましたが、留職での「全く異なる環境で、ゼロから何かを創り上げた」という経験が自信となり、躊躇なくがむしゃらに取り組むことができました。

働くうえで「新しい風を吹かせる」ことも大切にしています。レイチェルハウスでは、日本出身だからこその視点や意見が歓迎されたので、仕事でも「新参者だからこそ」の視点で、感じる違和感を伝えたり提案したりすることを意識しています。新しい環境に早く慣れることも大切ですが、自分が新しい風を吹かせていくことも組織にとって必要だと思うのです。

インドネシアで見つけた仕事の意義

――今後はどのような挑戦をしたいですか?
これからも医療アクセスの向上に携わっていきたいです。薬が届いて終わり、ではなくて、患者さんが実際に服用するまで寄り添いたいし、その状況を実現できるように必要な情報や手段を提供していきたいです。

こう考えるようになった背景にも、留職での原体験があります。レイチェルハウスが提供しているサービスの1つに看護師の訪問緩和ケアがあるのですが、私も看護師と一緒に子どもの自宅に訪問させてもらう機会がありました。とある家庭では、おばあちゃんが子どものお世話をしていたのですが、驚くことに家に薬はあるのに薬を子どもに与えていなかったのです。
事情を聞くと、彼女は文字が読めないため、どれくらいの量を投与すればいいのかわからず、間違った量を飲ませたくなかったから子どもに与えなかったと言います。

ナースと子どもの自宅訪問した当時の写真

このとき、「医療は薬をただ届けるだけではなく、患者さんが服用するまで寄り添う必要がある」と実感したんです。実際、その後レイチェルハウスでは数字と絵で投与回数や量を伝える工夫をしていました。

1つの製薬会社ができることは限られているかもしれません。でもテクノロジーを活用したり、様々なステークホルダーと協働したりすることで、医療アクセスの向上は可能だと信じています。そして、仕事をする上での意義を見つけられたのは、インドネシアの医療現場で「目の前の患者さん」と向き合ったから。これは私にとって大きな財産になっています。

編集後記

「どんな瞬間に留職を思い出しますか?」と聞くと、「私の娘が3ヶ月だった頃、2人きりで旅行したときです。トラブルばかりで大変だったけど、それを楽しんでいる自分もいて。ふと、インドネシアでの日々を思い出しました」と、笑いながら話す林さんが印象的でした。軽やかに挑戦を続ける林さんは、これからどんな場所で自分らしい「風」を吹かせていくのか、とても楽しみです。(広報・松本)


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