超真面目な研究者があらゆる「枠」を超えた3ヶ月
味の素株式会社の研究職として勤務している岩井佑介さんは、何をするにも徹底的な下調べと準備をすることを怠らない、根っからの研究者肌の人物。そんな彼が、アジアの最貧国のひとつであるラオスで、栄養不足に悩む村の人々を目の当たりにしたとき、何を感じたのか。彼自身も予想外だったという、留職で得た新しい視点は、彼のこれからの働き方に大きな影響を与えるに違いない。(本記事は2019年に作成・公開した特別レポートを転載しています)
味の素の製品が、本当に人の役に立っているのかを確かめたい
岩井さんが留職への参加を考えるようになったきっかけは、単純な興味からだった。行ったことのない新興国で暮らしてみることや、留職を経験した先輩の話が面白そうに感じられたという。また、「途上国向けの商品開発もしているグローバル企業で働いているけれど、その現場に触れる機会がないことにもやもやしていた」ことも興味につながった。新たな視点が得られ、業務に役立つ経験ができるのではないかと。そして、彼は留職へのエントリーを決意する。
迷いもあった。英語への自信のなさや、入社4年目で海外に3カ月行くことがキャリアを形成する上で不利になるのではないかといった不安だ。それでも最後は、若い頃に海外の工場で実績を残してきた上司からの強い後押しもあり、決断することができた。だが、エントリー後も、さらには行くと決まってからも、不安が続いていた。知らない場所で知らない人たちに囲まれ、日本語も通じない中で、成果を上げることなど本当にできるのだろうか、と。
この不安が楽しみへと変わったのは、留職先となる団体をクロスフィールズから紹介されたときだった。岩井さんはこう振り返る。
団体についての話を聞いて、最高に面白そうだなって思ったんです。代表のNongnut(ノンヌ)さんと話してみたいと思いました
岩井さんが留職したのは、ラオスに3拠点を持つXao Ban(サオバン)。ヨーグルトや地元の素材を利用したジャムを生産する社会的企業だ。障がい者を積極的に雇用し、地元の農産品を原材料として栄養価の高い食品を供給することで、社会的価値を生み出している。さらにはビジネスを低所得者向けに切り替えることで、ラオスの深刻な社会課題の一つである低所得者層の栄養不足を改善するという新たな挑戦を始めるところだった。
ノンヌさんに対して自身の活動内容を提案する岩井さん
現実を目の当たりにしたら、心が動き、体が動いた
留職初日から、英語の壁に苦労しながらも、岩井さんはノンヌさんと会話を重ねた。ノンヌさんがなぜこの事業をやっているのか、疑問に感じたことをぶつけ続けた。留職での期間中に自分は一体なにに取り組むべきか、また、この団体が本当にしたいことは何なのかに納得いくまで迫る必要があると考えたからだった。
岩井さんが取り組んだことは二つ。製品や果実中のビタミンCの簡易測定系の構築と、農村の栄養改善活動だ。
サオバンの商品に対して、特にビタミンCについて顧客の関心は高かったが、自社製品や原料の栄養成分の測定は出来ずにいた。ラオスに測定機器はなく、試薬会社もないため、測定すること自体が不可能だったのだ。そこで岩井さんは「ビタミンCを含む栄養成分の測定方法を確立すれば、団体内で栄養価の測定をすることが可能になり、中期的に団体の発展に貢献できるのではないか」と考えた。そして、ラオスで入手可能な材料で、持続的に実行可能な手段とすることを意識して、イソジンや酢を使用した簡易な測定システムを構築することに取り組み始める。イソジンさえ簡単には手に入らない状況下で、素材を揃えるだけでも時間もかかったが、無事に完成。サオバンのスタッフに引き継ぎ、継続して測定を可能にするところまでこぎつけた。
農村の住民の栄養不足の課題に対してサオバンと岩井さんが取り組むと決めたのが、現地住民に対する栄養改善教育の機会を作ることだった。この栄養改善活動に取り組む前に、彼は村について知ろうと、ノンヌさんをはじめ、団体や現地のJICAのスタッフに話を聞き、文献を読み、準備を重ねていた。しかし、万全に資料を整えて現地に出向いた時、現実には彼の事前調査や想像を大幅に超える厳しさや難しさがあったことに気付く。自給自足の村といっても、あるのは米だけ。あるものを食べるしかない環境では、いくら栄養を摂ろうと教育をしても、選択肢がないのだ。彼は村を目にしたときの衝撃をこう語る。
自給自足の村だとは聞いていました。でも、実感がわかなかったんですよね。実際に目にしたときに、本当に米以外は何もない村なんだってわかったんです
結局、準備していた資料を使うことはなかった。何をするにも入念な準備を怠らず、そのことによって成果を上げてきた彼にとっては、大きな決断だっただろう。けれども、準備が役に立たないという事実を彼はポジティブに受け止めた。
結局見に行かなきゃ、わかんないんだなって。その村の現状が書かれた文献を読んだときと、実際に見に行ったときでは、響くものが違うんです。やっぱり見る、実際に行くということが重要なんだって気づかされた出来事でした
村の未来のために、「研究者としての自分」を超えてできること
岩井さんは、さらに村が抱える厳しい現実を目にする。彼が村を訪れたその日、自殺した10代の若者の葬儀が行われていたという。岩井さんは涙が出るほどのショックを受けた。
その村では若者の自殺率が高く、問題となっていた。自給自足で満足な食事もとれない環境でありながら、ソーラーパネルによる電力でテレビを見ることができ、スマホを持っている人もいる。都会や外国の情報がどんどん入る一方で、村から出るすべはない。そこで生じる強い閉塞感が若者の自殺につながっていると考えられていた。葬儀が行われていた若者の自殺のきっかけも、両親にバイクを買ってもらえない、ただそれだけだったという。それだけで自殺を考えてしまう、そして実際に行動に移してしまう。それほど、この村の若者は未来に希望を抱けずにいるのだ。
岩井さんは、今の自分が村に対して貢献できることは何かをもう一度考え直した。「研究者という枠を外して考えて、改めて自分に出来ることはないだろうか?」
その結果思いついたのが、食の楽しさやバリエーションを増やすことだった。閉塞感でいっぱいの村の生活に、食の楽しみが生み出せれば、今と未来への期待を高める一つのきっかけになるのではないだろうか。
そこで岩井さんは、食の楽しさやバリエーションをすぐに増やせ、たくさんいる妊婦に必要な栄養があり、さらに現地でも簡単に育てられる野菜はないか考え抜いた。結果、もやしや豆苗を育てることを思いつき、村への導入と自家栽培・製造を開始したのだった。
ビタミンCの測定システムの構築でも、農村の栄養改善活動でも、彼が重要視したのは、現地の習慣や文化に合っていることと、持続可能で現地の人たちが発展させていけることだった。自分がラオスを去った後のことを、常に彼は考えていた。
そこには、論文やデータを読み込んで結論を出そうとする、頭でっかちで真面目すぎる研究者の岩井さんはもういなかった。現場を見て、体感する。それによって心が動き、行動する。そのプロセスでこそ、本当の問題がわかり、必要な行動が導き出せると身を以て体験したのだ。
資源循環型農業/畜産を研究するラオス国立大学農学部で養鶏作業を体験
予想外の変化を活かす日々が始まっている
帰国後、日本での働き方や考えも大きく変化した。現地では、ノンヌさんが利益よりもラオスのために貢献できることを考え続けて事業に取り組んでいるということを知って刺激を受けた。日本でも上司からの指示の奥にある、なぜそれをやろうとするのかという「想い」を重視したいと今は考えている。それを知ることが働く意欲に直結すると体感したからだ。さらには、社員それぞれの「想い」を大切に、その「想い」を実現する行動につなげていけるよう、部署間の垣根をなくし、組織を変えることにも取り組みたいという。これまでの岩井さんにはなかった新しい目標だ。
留職を通して、いくつもの「枠」が外れる経験をしたことも、彼に大きな気づきをもたらした。例えば、研究者としての枠。研究者としてラオスに行ったものの、求められているのは研究職としての専門性ではなかった。それでも何か役に立ちたいと考えた結果、豆苗を育てるというアイデアが生まれた。
さらには4年目の若手といった枠を自分の中でつくっていたことにも気づいた。帰国後は上司をはじめさまざまな人に自分の意見をフラットに口にしている。会話という点でも枠があった。形式の整ったミーティングで話すだけでなく、普段の会話の中からたくさんのアイデアが出るという経験を通して、業務中の雑談にある価値に気づけいた。こうした様々な「枠」が外れたことで、留職前とは異なる働き方をし始めている。
留職先であるサオバンは、規模をはじめ何もかもが味の素とは異なる。けれども、そこで代表の想いを感じながら、自分にできることを無我夢中で探した3カ月を経て、今では一研究者というかつての自己認識に囚われることなく、「味の素として何ができるか」を考えている。彼がいま感じているこのような変化は、留職前に想像していたものとはまるで違う。彼は確実に自分の思考の「枠」から外れ、自身の可能性の「枠」さえ外して、未来を見据えている。
サオバンとラオス国立大学教授との一枚
(資源循環型畜産で育てられた"Happy Chicken"の卵はサオバンで販売)
担当プロジェクトマネージャーより
岩井さんの変化は想像を超えるものでした。圧倒的な行動力で、常に人と会い意見交換を繰り返した岩井さん。事前に準備して作り込み、完璧なものを発表するという姿勢から、多くの人と意見交換をしながら発想を広げ、アジャイル的にアイデアを形にしていく経験をした彼は、それが自分だけでは見いだせないような新しいアイデアに繋がること、つまり「イノベーションはこう起こすのだ」という気付きを得たそうです。
また、視座の高まりも感じられました。研究者という立場から、課題を自分事化し、自分の既知の知識や経験を超えて、自分にできることに枠を超えて挑戦することで、考える視点が大きく変わったのです。帰国後もこの学びを活かし、精力的に新たな挑戦を考えて行動しているようです。
味の素株式会社では、「The Ajinomoto Group Creating Shared Value (ASV)」と称し、「21世紀の人類社会の課題」に対して事業を通じて解決に取り組むべき分野を定め、推進されています。事業やそこで培ったスキルを活かして社会課題を解決するという実体験を経て、ASVを誰よりも強く語ることができるようになった岩井さんの存在は、企業全体にとってもプラスになるのではないでしょうか。(プロジェクトマネージャー・西川)