社会課題を突き詰め社内ベンチャーの社長に―留職から5年、挑戦の日々
日揮HDに所属していた臼井さんは2017年にインドへ留職しました。それから5年、現在は日揮(株)の社内ベンチャーの社長として福島県浪江町で陸上養殖事業に取り組んでいます。
「留職で見つけた”社会課題を突き詰める”というモットーで挑戦してきた」という臼井さん。インドでの刺激的な日々と、その後の挑戦について伺いました。(聞き手:広報・松本)
プラントエンジニアから水産事業の社長になった原点
――現在取り組まれている事業はどのようなものですか?
福島県浪江町で陸上養殖設備にて魚を養殖する事業です。これは水道水を使って塩分濃度を調整した人工海水を使用して飼育するため、高い安全性と安定的な生産を保っています。世界的な養殖需要に対応し、地球の水産資源を維持できるというメリットがあるんです。生産した魚は浪江町の特産品にするため、パートナー企業のいわき魚類(株)と連携しながら、まずは福島県を中心に東北エリアから流通させていく予定です。陸上養殖事業を通じて海洋資源の維持に貢献しながら、おいしい魚を作るための生産技術の向上と福島県を中心とした水産業の活性化に取り組んでいきます。
自分はこれまでエネルギー分野のプラントエンジニアや事業投資などの経験を積んできているので、陸上養殖事業はかけ離れたキャリアにみえますよね。ですが、それらの経験が点と点が線となり、現在の事業につながっています。その原点には5年前のインドでの留職経験があります。
――そうなんですね。留職はどのような理由で参加したのでしょうか。
留職に参加したのは入社13年目のときでした。LNGプラントや電力分野のプラント設計や事業投資などに携わり、中東で駐在経験もありましたが、
「今後の成長が見込まれるアジア新興国で、ビジネスを体感したい」という思いを持っていました。ちょうどそんな時、留職してみないかと上司に声を掛けられ、2つ返事で参加しました。
派遣先はインドでバイオガスプラント事業などを行うSampurn(e)arth(サンプルナース)に。インド・ムンバイで深刻化するゴミ問題に対して、バイオガス事業やリサイクル事業を通じて取り組むベンチャー企業で、3ヶ月にわたり活動することになりました。
現地に到着すると、案内されたのは12畳ほどの1階フロアと地下室から構成される小さなオフィスでした。そこで20名のメンバーが働いていたんです。
――プラント事業で経験豊富な臼井さんに対して、団体からの期待は大きかったのではないでしょうか?
そうですね……。初日にCEOのデバーサから「プラントの運用・保守の改善業務だけでなく、新規事業の開発にも取り組んでほしい」と言われて、かなりプレッシャーを感じました。新しい環境に飛び込む怖さも相まって、最初の頃は必死で目の前のタスクや見えている課題に取り組んでいました。
転機はデバーサと地方のバイオガスプラントに2週間の出張へ行ったときでした。彼は別件があり1週目に帰ってしまい、残されたのは自分とあまり英語が通じない現地プラントのスタッフたち。用意されたタスクはすぐに終わり、やることがなくなってしまったんです。
残りの期間で何をしよう……。
考えていても始まらないので、現地スタッフとなんとかコミュニケーションし、課題を見つけていきました。その過程で必要な情報を日揮本社の社員に聞くなど、自分のリソースをフル活用して事業を進めていきました。
こうして行動していくうちに、ふとこれまでの自分は受け身だったと気づいたんです。与えられたタスクがないから動かないのではなく、組織にとって重要な課題をトライアンドエラーで見つけて、自ら仕事をつくることが大切だと身を持って感じました。これは帰国後に気づきましたが、新規事業開発においてもとても重要な要素になります。
そこから「サンプルナースの抱える課題は何か。自分はどう貢献できるか」とひたすら現地でヒアリングし、考えながら行動するようになりました。
結果、留職の後半ではバイオガスプラント事業に関わる業務に加え、団体の資金調達や組織全体の作業効率を上げる改善活動に取り組んでいきました。
留職期間を延長!団体メンバーと共同生活も経験
――臼井さんの活躍を受けて、留職期間が延長されたそうですね。
留職終了の1ヶ月ほど前、サンプルナースCEOのデバーサから「活動期間を延長してもらえないか」と相談されました。自分としてもプロジェクトをやり遂げたいという気持ちがあり、会社に相談して3ヶ月の活動予定をさらに5週間延長しました。元々うちの会社は、「現地から滞在延長を依頼されることは、価値が出せている証拠」と考える組織風土があったので、喜んで快諾してもらえました。
さらにデバーサが起業家精神みなぎる人だったので、彼ともっと働いて将来の事業開発に役立てたいという目的もありました。そのため延長期間は彼やサンプルナースのメンバーが住むシェアハウスで過ごし、休日は知り合いの経営者にも会わせてもらうなど、仕事だけでなく生活も共にしました。
この期間は残された時間で自分が提案したプロジェクトを成功させるために毎日必死でしたね。
でも大変さ以上に、自分で何かを提案して決めたり、着地がわからないなかみんなで進んで行ったりするワクワク感があって、ずっと夢中でした。
この頃から「所属する組織で活躍し、頼られたい」「いつか自分も経営者になりたい」という気持ちが大きくなっていきました。いま振り返ると、留職で事業開発に携わったことで、「自分もリーダーシップを発揮できるんだ」という自信が生まれたんですよね。
これまでリーダーシップはなんとなく難しいものだとイメージしていましたが、留職で「リーダーシップは一つ一つのコミュニケーションの積み重ねがベースになっている」と気づいたんです。自分の考えを相手に伝え、一緒に何かを議論し、課題を解決していく。これを新興国のベンチャー企業という、普段とは異なる環境で体現できたことが自信になりました。
”テクノロジーを通じた食の課題解決”に取り組んでいきたい
――留職を終え、自身のキャリア観に変化はありましたか?
かなりありますね。以前は仕事のモチベーションが「いわゆる”成功したキャリア”を歩みたい」でしたが、留職後は「社会のためになる事業をつくる」に変わりました。
とはいえ、当時はサステナビリティなどの考えもまだ浸透しておらず、これを周囲に伝えても最初はなかなか理解してもらえませんでした。
それでも「解決したい社会課題に対して、事業やテクノロジーを通じて突き詰めて取り組もう」と、ひたすら挑戦し続けました。
この姿勢はサンプルナースのCEO・デバーサから学んだものです。彼は「解決したい社会課題に対して、事業を通じて突き詰める」という信念を強く持ち、それを体現していました。そんな彼の姿を思い出しながら、私も周囲の目を気にし過ぎずチャレンジできる機会を模索し、挑戦していきました。
そのため、帰国後は興味のあった栄養学の資格を取得したこともあります。これはインドで食や人の健康に関する様々な課題を実感したためです。テクノロジーの可能性やエネルギーにも興味があったので、テクノロジー活用の事業アイデアを持って社内のビジネスコンテストに出て事業を作る機会を探していきました。ブロックチェーンに関するビジネスコンテンストではなんと優勝し、「自分はアントレプレナーシップがあるんじゃないか」と自信になりました。
テクノロジーを活用した新規事業に関心があったので、2020年に日揮(株)の新規事業開発の部門に手を上げて、陸上養殖の事業化チームに加わりました。そこでエンジニアリングのノウハウやAIなどのビックデータ技術を活用した陸上養殖プロジェクトのリーダーとなったことがきっかけで、現在の陸上養殖事業の立ち上げにつながっています。
留職から今までの5年間を振り返ると、プロジェクトが計画通りいかない、未経験の事案へのアプローチ方法がわからない、など悩みの連続でした。
でも今は「テクノロジーを通じた食に関する社会課題解決」という、自分の関心事に取り組めていると感じています。困難な状況でも前向きに取り組めるのは、インドでの留職があるからです。今でも派遣先のCEO・デバーサとは連絡を取り合い、お互いの近況報告をしたり彼の挑戦を聞いて刺激をもらったりしています。
現在の目標は、陸上養殖事業を拡大してやがて海外にも展開し、食に関する社会課題解決にも貢献すること。この実現に向かって挑戦を続けていきます。
編集後記
「やりたいことを突き詰める」というのは、結構むずかしいことかもしれません。「でも……」という気持ちが先走り、なかなか一歩踏み出せないからです。一方で臼井さんはやりたいことに挑戦し続け、事業を立ち上げるまでに。そんな彼から話を聞くうち、私もやりたいことに挑戦してみようという気持ちになりました。行動力にあふれる臼井さんなら、浪江町で養殖した魚が海外に輸出される日もそう遠くないと感じています。(広報・松本)