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市役所を飛び出し新興国へ!2名の経験者が語る留職アフターストーリー

 つくば市役所で働く貝澤さんと永井さんは、2018年に留職へ参加しました。3ヶ月の活動を経た二人はその後、つくば市で様々な経験をしながら活躍しています。

今回は当時プロジェクトマネージャーとして携わった西川が聞き手となり、お二人から留職での経験とその後の歩みについて伺いました! 地方公務員としては初の留職、どのような活動と学びとなったのでしょうか。

インタビュイー
貝澤紗希氏(写真・中央):2012年につくば市入庁。こども育成課の在籍時に留職へ参加し、
インドネシアで活動。帰国後は広報を経て現在はスタートアップ推進室所属 
               
 永井将大氏(写真・右):2011年につくば市入庁。6年にわたり福祉部門を担当した後、
インドへ留職。帰国後はスタートアップ推進室、コロナ支援事業を経て、
現在は組織開発推進室所属
         
インタビュワー
西川理菜(写真・左):クロスフィールズ事業統括ディレクター。
プロジェクトマネージャー時につくば市役所の留職を担当。永井さんのメイン担当、
貝澤さんのサブ担当として携わった。 

それぞれがインドとインドネシアで挑戦

ーーもう留職から5年経ちますね。改めて留職に参加したきっかけを教えてもらえますか? 

貝澤:市役所内で留職の公募を見たとき「自分で課題を見つけて、主体的に動く挑戦をしてみたい」と思って応募しました。日々の仕事から一度離れて、何かに挑戦してみたいと思っていた時期だったので、ちょうど良いタイミングでしたね。 

派遣先はインドネシアのYayasan Usaha Mulia (以下、YUM/ユム) でした。YUMは農村部のコミュニティ開発を支援するNGO で、事業は教育や保健、農業など多岐に渡っていました。私は主にマーケティングを担当し、YUMの手掛けるヨガツアーやオーガニック野菜の販売戦略、日系コミュニティとのコネクションづくり等を行いました。

現地では折り紙ワークショップも手掛けた貝澤さん(写真中央)

永井:私も何かにチャレンジしてみたいという気持ちで留職に手を挙げました。市役所で働くなかで、新しいことをやりたいと思っても一歩踏み出せない自分にもどかしさを感じていて。そんな自分を変えるきっかけになるのでは、と挑戦を決めました。

私はインドへの派遣となり、留職先はV-shesh(ヴィーシェッシュ)という障がい者支援に取り組む団体でした。市役所では福祉部門を担当していたため、その経験を活かしてつくば市の障がい者支援施策を紹介したり、企業での障がい者雇用加速に向けて日系企業への営業活動を行なったりしました。

留職で得た達成感と自信


 ――留職中は何が一番大変でしたか?
永井:一番はタスクを与えられなかったことですね。これまでの仕事はある程度、タスクが決められていましたが、留職では自分の仕事は自分で決めなければいけませんでした。そんな状況に最初は不安を感じていました。加えて「留職での経験は絶対つくば市に還元しないと」という、プレッシャーもありました。

西川:渡航前の永井さんの不安そうな表情は今でも覚えています。笑
でも活動中にどんどん変化し、主体的に行動していきましたよね。

永井:うまく行かなかったとき、西川さんとの1on1などを通じて、ふと失敗を過度に恐れながら動いている自分に気づいたんです。このままじゃ留職に挑戦した意味がない……そう思って、不安があっても自分の意見や気持ちを率直に相手に伝え、議論を重ねながら行動するように変えていきました。

行動の結果は成果にも現れて、帰国後のことですが、自分が留職中に関わっていた企業で障がい者の方の雇用が決まったんです。その時は大きな達成感を感じましたね。 

現地で活動中の永井さん(写真・右)

西川:一方で貝澤さんは当時、「大変さよりも驚きとワクワクが多い」と話していたことを覚えています。 

貝澤:YUMは物事の決定スピードが速いし団体の雰囲気もオープンで、それが私に合っていました。メンバーが良いと思ったアイデアはすぐ実現に向けて動き始めるスピードに驚きつつ、自分のアイデアを元に動ける面白さを実感した3ヶ月でした。

とはいえ留職開始時は、「自分に何ができるんだろう?」と不安な気持ちもありました。でもがむしゃらに行動していたら成果につながったんです。
失敗もしたけれど、それ以上に留職先から感謝してもらえることの方が多くて、行動を起こすことへの自信が生まれました。

自分が変化の起点に…経験を組織に還元

――留職先からつくば市役所に戻る際、大切にしたことはありますか?

貝澤:留職では行動を起こすことへの自信がつくなど自分の殻を破れたのですが、また「派遣前の私」に戻ってしまうのではという不安もあり、それは避けたかったんです。なので「変わるのは環境だけ。留職中の自分のままで、インドネシアでの学びを組織に還元しよう」という意識で戻りました。

とはいえ「派遣前の私」に戻ってしまいそうな時もありました。でもそのたびに留職での経験を思い出し、自分を奮い立たせてチャレンジを続けています。

永井:私も同じく、「自分が変化の起点になるぞ」という意識で職場に戻りました。貴重な経験を積ませてもらった自分が起点となって、どのような組織変化を起こせるか……と、今でも考えながら働いています。

貝澤:実際、永井さんは留職後に色んな新規事業に関わっているイメージですよね。

永井:留職後の5年間はスタートアップ推進室、コロナ支援事業、組織開発推進室を経験してきました。どの部署でも仕事が決まっているのではなく、「ゼロイチで事業を考えて行動していく」ことが求められてきたと感じています。 

例えばコロナ支援事業では、つくば市内の飲食業等の事業者を応援するクラウドファンディングを実施し、プロジェクト全体で1億6千万円以上を集めることができました。

「どうしたら市内事業者の方々を迅速に支援できるか?」と、チームで色んな選択肢を考えた結果、ベストな方法がクラファンだったんです。市役所としても初の試みでしたが、チームがまとまって実施できたし、何より市民の方々の役に立てたかなと思っています。 

「仕事の先にいる相手」を想像するように

――自身の仕事に対する意識は、どのように変化しましたか?

貝澤:元々「人の役に立ちたい」という気持ちから市役所に入庁しましたが、日々の業務に追われていると、どうして忘れてしまう時もありました。でも留職を通じてこの意識を取り戻したというか、むしろ強くなったと感じています。

というのも、派遣先のYUMは団体ビジョンに「インドネシアの人の暮らしを良くする」ことを掲げていて、メンバーそれぞれが別の業務をしながらもビジョン達成に向けて活動していました。そんなメンバーと働くうちに、私も自然と「この仕事は誰のためになるのか?」をイメージして働くようになったし、この意識は今でも大切にしながら働いています。

永井:留職前から「制度に基づいて地域や社会のために仕事をしている」感覚はあったものの、自分自身とは直結してなかった気がします。なんとなく手触り感を得にくいというか。 

一方の留職ではサービスの受け手となる人々と直に触れ合い、自分の仕事が相手に起こす変化や、相手がどんな表情になるのかがわかったんです。

そうすると、今まで見えてこなかった社会と自分のつながりがはっきり見えるようになって、留職後もこの感覚を大切にして働くようになりました。 

留職での学びを組織の変化につなげたい

――今後取り組みたいことを教えてください。

貝澤:市役所にしかできないことを、どんどん実現できる組織にしていきたいですね。何かするとき前例にとらわれずより良い方法を考えたり、互いに「どうしたいのか?」を聞き合ったり。

小さいことかもしれませんが、こうした行動の積み重ねがよりオープンかつ柔軟な環境づくりに繋がるし、結果として一人ひとりがより自発的にアクションできる組織になると思っています。

永井:私も留職での学びを組織変化につなげたいです。いま所属している組織開発推進室はそのチャンスが特に多いと思っています。「チャレンジしたいけど躊躇している」「自分の仕事は社会の役に立っているのか、モヤモヤしている」というような職員を後押ししたり、彼らに寄り添ったりして、それぞれが自分の仕事と社会のつながりを見つける手助けをしたいです。

それは一人ひとりが活き活きと働くことにつながり、結果としてより良い価値を市民の方々に提供できる。すると職員もさらにモチベーションが上がり、もっと良いサービスを創っていける。そんなポジティブな循環を創っていきたいです。

――最後に……お二人にとって留職とは?

永井:「生まれ変わった機会」ですね。自分がガラッと変化した3ヶ月間でした。インドに越境して視野がぐっと広がったし、色んな方々と働くなかで一歩踏み出す行動力も身についた。だから自分にとっては、生まれ変わるくらいインパクトがありました。

貝澤:永井さんのようにガラッと自分自身が変化した感覚はないのですが、私にとって留職は「俯瞰する視野を持てた経験」です。全く異なる環境に身を置いたことで、市役所の価値や自分の仕事の意味を俯瞰して見つめ直せたし、その視点を持って今も働いています。

編集後記

当時、クロスフィールズとしても行政からの留職派遣は初めてでした。永井さん・貝澤さんと話していると派遣前から「社会のため」「市民のため」と仕事を利他的に捉えられていて、まさに市役所職員ならではの、素晴らしい視点だと感じていました。

一方で役所のルールに従い、忠実に働いていたお二人が、留職を通じて全く異なる文化・価値観で働く人々と交わった時、大きな化学反応が起きたと感じています。今後もつくば市の未来を引っ張る「変革人」でい続けて欲しいです。(西川)