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インドネシアのごみ山を歩いて見つけた想い、日本でも紡ぎ続ける

NECに研究職として入社した松葉さんは、2016年のインドネシア留職がきっかけで、社会課題に関心を抱くようになったそうです。帰国後は社内で社会課題解決型のビジネスを立ち上げるべく、ビジネスデザイン職、経営企画職とキャリアチェンジ。

社外でも志を同じくする仲間とコミュニティを立ち上げるなど、社会課題解決に向け積極的に活動の幅を広げてきた松葉さん。留職での気づきやその後の歩み、今後の展望について伺いました。(聞き手:広報・佐藤)

松葉明日華氏:2013年にNEC入社。16年にインドネシアに留職。
帰国後は新規事業開発などを経て、現在は経営企画の部署でESGやサスティナビリティが前提となった経営の戦略立案関連業務を担当。
社外ではサステナビリティに関心のある人が学べるコミュニティの運営などにも携わる

留職先で見たインドネシアのごみ山に衝撃を受ける

――社内外で積極的に活動してきた松葉さんですが、最初の原点は留職だったんですね。

もともとは留職どころか社会課題にも目が向いていなくて、そういう世界があること自体知りませんでした。だけど会社の先輩で留職経験者の安川さんの話を聞くうちに引きつけられ、留職に参加しました。

私はインドネシアのWaste4Change(ウェイスト・フォー・チェンジ/以下、W4C)という社会的企業に留職し、生ごみを効率的にたい肥化する方法を考案しました。派遣当初は生ごみのたい肥化そのものに取り組むことから始め、最終的には生ごみの回収からたい肥化までワークフロー全体の改善にも携わることができました。

行ったばかりの頃は「とにかく何でもやらなきゃ」とがむしゃらでしたが、大きく意識が変わったのは実際にごみ山を訪れた時でした。四方八方どこを見渡しても、ごみの山が果てしなく続いているんです。写真を撮りつつ、五感を使って匂いなども感じながら歩いてみると、想像をはるかに超える光景にショックを受けました。「私にできることなんて何もない」と、途方に暮れました。

現地のゴミ山にて

「何もできない」から「何かできることを」に変化

――かなりの衝撃を受けたんですね。その後、どう気持ちを立て直したんですか?

その後は一週間ぐらい落ち込んでいましたね。でもその翌週に再びごみ山を訪れた時、「このまま何もやらなかったら世界は変わらない。自分にできることを探してやらなくちゃ」と思ったんです。そこで改めて自分に何ができるかを本気で考え、取り組んだのが生ごみのたい肥化でした。生ごみはプラごみと違って家庭で処理できるし、このごみ山の臭いも減らせる。

その一方で現場を見ていると生ごみの回収や分別方法など、たい肥化以前の段階に課題がたくさんあると感じました。そこで課題を整理し、地域住民に対するごみ分別の啓発活動にも取り組みました。実際に一軒ずつ家庭を訪問して、ごみ分別の方法や分別の重要性について説明していったんです。

各家庭だけでなく、幼稚園でもごみ分別のワークショップを行った(本人・写真右)

――実際に自分の目で現場を見たからこそ、気づけたことがあったんですね。
生ごみをたい肥化しているW4Cの作業場には毎日通いました。暑い・臭い・汚いという過酷な現場でしたが、毎日訪れて日々の変化を観察し、たい肥を作る作業をするという一連のプロセスを回し続けていました。これは研究者気質なのかもしれません。

後日、W4Cのリーダーから「暑いし臭いし、インドネシアの人でもなかなか続けられないのに君は毎日通ってやりきった。これは本当にすごいことだ」と言ってもらいました。 

もちろんつらい時もありましたが、そんな時には現地で仲良くなったお母さん達を思い出していました。インドネシアの人はみんな人懐っこくて、家に呼んでくれたり、一緒にイベントに参加したりして、何かとかわいがってくれてたんです。そんな彼女たちを思って、「ごみ山の問題が解決したら、この人たちはもっと幸せになって、笑顔になれるのかな」とイメージしていたから続けられたんだと思います。

現地で出会った「お母さん」達と(本人・写真左)

3ヶ月の留職が終わる頃には、各家庭からの生ごみ回収まで踏み込んだたい肥化の実証実験に取り組み、これまで3か月かかっていた工程を1週間まで短縮できました。たい肥化にかかる時間を削減できることで、1か月に処理できる生ごみの量が増えたり、作業員を他の仕事にまわすことができました。

この一連のプロセスは、後にW4Cのメンバーが私の名前と掛け合わせて「マツバメゾット」と名付けてくれました。また、実証実験に協力してくれたお母さん達が自主的に勉強会を開催し、私が帰国した後もマツバメゾットが広まっていきました。 

社会課題解決への想いを紡ぎ続ける

――社会課題の現地で暮らす方々への想いが帰国後の活動にもつながったんですね。
帰国後はW4Cのように社会課題解決型の新規事業開発に取り組みたいと思い、これまでの研究職から思い切ってビジネスデザイン職にキャリアチェンジしました。念願叶って社会課題起点で事業立ち上げを検討するチームに配属され、留職の経験が直接役に立ちました。NECはテクノロジーの会社ですが、留職を通じて課題設定の仕方や解決法を考える時に単にテクノロジーを使えばいいわけではないという視点を持てるようになれたんです。

なかでも大切にしているのが、留職先・W4Cのリーダーの「ごみ問題を解決するには、ごみだけじゃなくて”人”の問題も解決しないといけない」という言葉。ごみ問題の解決は単にごみ処理を効率化するのではなく、例えば、ごみ山で缶やビンなどを集めて売り、生計を立てている人々が安全に働ける職場を作ったり、安定した給料を得られる環境を作ったりすることも大事だという話です。

これはNECの新規事業開発でも同じで「NECの技術を使えば解決できます」ではなく、そこに関係する人々のことを広く考え、一つの課題が解決することで別の問題が起きないかを考える視点が身に付きました。

――社外でも様々な活動に取り組んでいるそうですね。
自分にとって一番大きかったのは、社会課題を解決するビジネスを始めようと行動を起こしたことです。

志を共にする仲間と「人を起点とした地域活性プラットフォーム”So-Gu”」や「次の人に心地よい社会を創るコミュニティ”サスパ”」などの取り組みをしており、その一環としてイベントなども開催しています。

今は少しひと段落したタイミングですが、社内外でSDGs関連の話をするよう頼まれてごみ山の話をするたび、今もあの光景を思い出します。ごみ山のことを思い出すたびに、「何かしなくては」と奮い立たされるんです。

ごみ問題のように大きな問題はすぐに解決できるわけではないので、これからもその時々で自分ができる関わり方を考えて解決に貢献していきたいと思います。

編集後記

果てしなく続くごみ山を前に途方に暮れる、という強烈な原体験が、松葉さんの人生に与えた影響の大きさを終始感じさせるインタビューでした。本職がありながらも社外で積極的に活動する熱量に驚かされると同時に、取材では「留職から帰ってからずっとあわただしく走ってきて、今ようやく少しひと段落したタイミングです」とも話してくれました。

走りながら見えるものもあれば、立ち止まることで初めて見えてくる景色もあるはず。さらなる気づきを得た松葉さんが今後どのように活躍の幅を広げていくのか、楽しみにしています。(広報・佐藤)