インドの辺境で企業の役職者が見つけた「未来のビジネス」の形
2020年1月、クロスフィールズは「社会課題体感フィールドスタディ」をインドで実施しました。本プログラムは「留職」とは違い、企業の経営層・幹部向けのもの。「“会社・社会の変化”には、この層の意識改革が欠かせない」と事業を始め、5年間で28回延べ505人が参加しています。
海外での実施は2018年のインド、翌年のルワンダに続き、3度目。初回のインドは南部が中心でしたが、今回は北部のデリー近郊やヒンドゥー教の聖地バラナシが舞台です。
インドは堅調な経済成長を続けています。人口は13億5,261万人(2018年現在) 。国連の予測では、2027年には中国を抜いて世界一に。このころには、GDPで日本を抜き去っているとする予想もあります(現在インドは世界7位) 。
そんなインドでは、盛んなインパクト投資 を背景に社会的企業やNGOが急成長しています。「ソーシャル証券取引所(Social Stock Exchange)」の設立準備も進んでおり、McKinsey & Companyは2017年の報告書で、インドのインパクト投資額は2025年には60億~80億ドル規模になると予測しています。
いま、インドでは社会全体が変わり始めています。使い捨てのプラスチックを廃止したり、電子マネーや電気自動車、通信網の普及が進んだり。すでにインドは、日本でよく言われる“混沌の国”というイメージだけでは語れなくなっています。
今回、そんなインドを、日本の大手企業の役職者、ベンチャー企業経営者、国際協力機構(JICA)ら12社17人と共に巡りました。訪れたのは、ICT技術で流通の課題解決を目指すベンチャー企業や、20年以上にわたって農村部の開発をしてきたNGO、そして、社会的企業や非営利組織に投資を続けている投資会社など7団体です。
帰国後、世界では新型コロナウイルスの感染が広がり、振り返りのセッションは延期に。最終的にはオンライン開催となりました。インドでは感染者が362万人を超え、すでに6万4千人以上が亡くなっています(2020年8月31日現在)。
日本に住む私たちも、インドで出会った人々も、それぞれの状況が大きく変わりました。一方で、“社会課題”が世界中の全ての人に、ほぼ同じ形で降りかかったことで見えてきたものもあるように思います。
この記事では7日間の旅を振り返りながら、Social Innovation Mission(SIM)での“旅”について、出会った団体や各セッションでのやり取りをお伝えしていきます。
“インパクト投資”へ集まり始めた人と資金
「インドでは、ソーシャルセクターに人や資金が集まり始めている」——。そんな話を聞けたのが、滞在先のグルグラム(Gurugram) のホテルで最初に行った、NGO「AVPN(Asia Venture Philanthropy Network)」とのセッションでした。
AVPNは、アジア太平洋地域におけるソーシャルセクターへの資本流入拡大を目的に、2012年にシンガポールで設立されたNGOです。AVPNによれば、インドはアジアで最も社会投資の進んでいる国の一つ。2013年からは法律によって、一定規模以上の企業が利益の2%を社会投資しなければならなくなったことが大きいそうです。
「社会的なインパクトを目指す投資で、利益を出すことはできるのですか」——。参加者からのこんな質問に対して、好例として挙げられた投資会社がありました。Aavishkaar(アービシュカール)。この翌日に訪れる予定になっている企業の一つでした。
(初日は夜にデリー空港に到着。写真は翌朝の自己紹介を兼ねたオリエンテーションの様子)
「経済的リターンは犠牲にならない」
投資会社「Aavishkaar」は10億ドルにも及ぶ巨額の資産を運用し、社会課題解決に取り組む新しい企業へ投資をしています。
セッション会場は、グルグラムにあるベンチャー企業「GoBOLT」のオフィス。周囲では都市開発が急速に進んでいて、窓の外をのぞくと、あちこちで高層ビルの建設が進んでいました。GoBOLTの入るオフィスビルも、他のフロアはまだ工事途中のようです。
Aavishkaarは2001年の設立以来、社会課題解決に取り組むスタートアップ企業への投資を続けてきました。
「私たちは、解決する価値のある課題に取り組む企業にしか投資をしません。そして、経済的リターンを犠牲にすることなく、社会的なインパクトを得ることは可能です」とAavishkaarのパートナー、Tarun Mehtaさんは言います。実際、Aavishkaarが投資をしてきた企業は、インドでの社会課題に焦点を当てて事業を展開してきました。
例えば、マイクロファイナンスとして始まり、資金調達の難しい個人や零細企業への融資を行っているEquitas、貧しい東部地域で乳製品をつくって販売するMilk Mantra、経済成長に伴うゴミ問題に取り組むNepra Resource Management。いずれも「社会課題を解決する」というミッションを掲げ、成長を続けている企業です。
(Aavishkaarのパートナー、Tarun Mehtaさん)
注目すべきなのは、投資先の企業の約90%が初めて投資を受ける企業だということです。投資額は1000~500万USドルと幅広く、これまでに投資をした67企業のうちすでに36の企業がExit。投資に対し4.4倍の利益を生み出しています。
流通に取り組むGoBOLT
そんなAavishkaarが最近注目しているのが、セッション会場となった「GoBOLT」です。GoBOLTは、ICT技術を用いて流通網を最適化している配送会社。2015年の創業以来急速に成長しており、SuperStartUps (SSU) Asia 2019を受賞しています。
インドは、日本の9倍ほどにもなる広大な土地がある上、近年は大渋滞が社会問題となるなど、流通網に大きな課題を抱えています。そんな中、GoBOLTはAIや機械学習によって探し出した高効率のルートを、スマートフォンのアプリを通じてドライバーと共有。輸送時間・コストの大幅な削減を実現しました。
同時に、「運転手の雇用環境、生活の質の改善」も重視していることが同社の特徴です。
広大なインドで輸送を行おうとすると、ドライバーは長距離運転を強いられ、なかなか家に帰ることができません。しかし、輸送ルートを最適化し、ネットワーク化して運転手同士をつなげることで、例えば、20日間運転し続けなければならなかった人が、4日間で帰宅し、家族と過ごす時間を増やすことができました。安全運転技術の習得や保険への加入も進めています。
創設者の一人で同社のCBRO、Sumit Sharmaさんは言います。
(GoBOLT共同創設者でCBROのSumit Sharmaさん)
運転手の生活を改善することや安全に運転できる技術を持った運転手を増やすことが、長期的には利益拡大にもつながります。『誰かを助けることと、収益を上げることは違う』という見方もあるかもしれません。しかし、それらをひもづけることでベストなビジネスが生まれるのです
(中間の振り返りはグルグラムのシェアオフィスで行った)
重要なのは尊厳(Dignity)
インドで「社会課題」を事業化する動きは、最近に始まったものではありません。私たちは別の日、バスに乗り込んでニューデリー郊外へと出向き、「Goonj」を訪ねました。設立は1998年。インドでは最大規模で、最もよく知られたNGOの一つです。
創設者で代表のAnshu Guptaさんは、インドで「Clothing Man(衣服の人)」として広く知られ、2015年にはアジアのノーベル賞とも呼ばれるラモン・マグサイサイ賞を受賞しています。
(Goonj代表のAnshu Guptaさん)
Goonjの事業を一言で言えば、「都市部で捨てられたり、寄付されたりした衣服や靴などを集め、貧しい農村地域に届けている」ということになりますが、こう書いただけではGoonjの事業の重要な部分をほとんど言い表すことができません。
(大量の衣類や靴などが集められ、きれいなものは再利用に回す。集まる物資は毎年5000トンに及ぶ)
「私たちは慈善事業をやりません」とAnshuさんは話し、その理由をこう説明します。
寄付という言葉の裏側には、“する側”と“される側”という上下関係が隠れています。この一方的な関係が続いた場合、受け取る側の尊厳(Degnity)が損なわれてしまいます。私たちが目指すのは、対等な立場でそれぞれの尊厳を尊重する関係です
Goonjの事業において、人々は仕事の“対価”として服などを受け取っています。例えば、川に橋をかけたり、貯水池をつくったり。地域の課題を解決する労働に従事し、その報酬としてものを受け取ります。この仕組みによって、人々は対等な立場で衣服などの受け渡しができるようになりました。
人々はこの事業を通じ、地域の課題を発見し、自ら解決していく方法を身に付けていくといいます。
(「仕事」として橋を造る住民たち・Goonj提供)
「“仕事”である地域の課題を発見するのは、その地域の人々の役割です」とAnshuさんが続けます。
“課題解決”を考えようとするとどうしても解決法から入ってしまいがちですが、課題を抱えた地域が求めていのは、何が問題なのかを一緒に考えてくれる人です。解決策を教えるよりも、解決までのプロセスを支援することが、長期的な支援を生み出します
Goonjで出会ったのは、まだまだ経済格差の激しいインドの現状と、目の前の社会課題に情熱を注ぐAnshuさんらの熱量でした。「自分は“社会課題”について何も分かっていなかった」と涙を流す参加者の姿もありました。
(衣類のリサイクルで生理用品も生産している。インドの多くの農村では、女性には家のお金を使う権限がなく、貧しい家庭では生理用品を買うことができない。布のナプキンを使っているのは全体の6割ほど。そのほかは植物や灰、乾燥させた牛の糞などを使うケースもあるという)
重要なのは、コミュニティ
旅の後半、4日目からはヒンドゥー教の聖地、バラナシへと飛行機で移動します。バラナシの空港で出迎えてくれたのは、「Drishtee」の方々。Goonjと同じように、長年にわたってインドの社会課題解決に取り組んできたNGOです。
(歓迎を受ける参加者。濃霧のため大幅に遅れての到着でしたが、空港で待ってくれていた)
設立は2000年。「農村コミュニティが繁栄を享受する力を持つ」をビジョンに、インド全土6,000を超える村で活動を実施。それぞれの地域で15,000人以上の起業家を育成しながら、キオスクへの日用品卸や、金融サービス、パソコン教室、起業支援などを展開し、流通の届かない「ラストワンマイル」の農村部の流通網の改善に取り組んできました。
(Drishteeが昨年から力を入れているのが、牛乳や農産物などの販売網の確立です。)
人口の増えているインドでは、依然として一次産業が盛んです。しかし、その従事者が必ずしも豊かな生活を送っているとは限りません。流通網が整っていない地域では、生産品を需要の多い都市部へ出すことが難しく、仲買人に買い叩かれてしまいがちだからです。
そこでDrishteeは、農村の生産者と都市部の消費者をつなぐアプリケーション「Miri」を開発しました。産地直送の野菜と牛乳の定期購入サービスです。仲買人を通さないことで、生産者の収入は増え、都市部の利用者には「新鮮なものが安く手に入る」と好評だそうです。生産者組合のような機能もあり、買取価格を安定させることもできるようになりました。
農村の拠点では、毎朝にぎやかな声が響きます。各家から牛乳や野菜が集められ、それを村の女性たちが寄り分けたり、箱詰め・瓶詰めしたり。最後は通勤や通学で街へ出る若者が、消費者の元へとバイクで届けます。配達先を示すのも、スマートフォン用のアプリ。参加者の一人は「生活に根付いた取り組みの所々にテクノロジーが埋め込まれていて、新しい発展の仕方をしている」と驚いていました。
近年、インドでは都市部を中心に個人主義が広がっているといいます。しかし、副代表のSwapna Mishraさんは「コミュニティに注目することが重要だと、長年の活動を通じて考えるようになりました」とコミュニティの価値を強調します。
一人ひとりの能力が小さかったとしても、協力し合うことで、時には魔法のように大きなことを成し遂げることができます。それに、幸せや満足感の根底には、他者と何かを共有すること、ケアし合うことがあります。人間そのものが本来はコミュニティの中で生きたい、と思っている生き物なのです
(Swapna Mishraさん=左。農村に銀行の拠点も設けている。承認にはIDカードと指紋を用いる)
また、そうした関係をコミュニティの中で構築するために欠かせないのが、“信頼”だといいます。
信頼は目に見えないものですが、相互に依存し合うコミュニティから経済のモデルができていきます。このモデルが構築されるためには信頼が必要であり、そこに信頼があるからこそ形になるとも言えるのです
本当の成功とは、誰かを支援すること
バラナシでは、電動リキシャー運転手のコミュ二ティを形成している社会的企業「SMV Green solutions」を訪ねました。バラナシの多くのドライバーの所得向上に加え、電動リキシャーを普及させることで大気汚染の軽減に貢献したり、女性の雇用を確保したり。ドライバーのコミュニティを通して、バラナシの幅広い課題に取り組んでいる企業です。
SMVは2015年設立。電動リキシャーのバッテリーステーションを街中に整備することで、ドライバーはバッテリーが切れてもすぐに満充電のものに交換できるようにしました。電動リキシャーの購入も支援しており、1日の収入が3ドルから13ドルヘと向上した人もいます。人力のリキシャーから移行した運転手は「人力では収入が低く、いい扱いも受けなかった。いまは自立でき、誇りを持って仕事ができています」と話していました。
現在は2州7都市でサービスを提供しており、売上は1.5億USD。メンバー数は1,400名にも上ります。興味深いのは、このうち66人が女性ドライバーだということです。
女性ドライバーの一人、Priyanka Vishvokarmaさんは現在35歳。離婚後、一人で5人の子どもを育てなければならなかったところ、SMVの話を聞き、リキシャードライバーとして働くようになりました。
(Priyanka Vishvokarmaさん)
女性が家の外で働くことは、特にインドの農村ではまだまだ珍しいことです。Priyankaさんによれば、街ですれ違う男性たちから冷やかしの声を受けたこともありましたが、女性の利用客を中心にとても好評だったそうです。Priyankaさんはそう話します。
家族の要望を満たせたり、自立していると実感する時に幸せを感じます。もっと多くの女性にこの仕事を勧めたい。家族のためにもっと車を所有して、新しいビジネスを始めたいと思っています
(SMVの男性ドライバーたち。全員が「女性が働くのはいいこと」と話していた)
創業者は、Founder Naveenさん。乗客からの虐待や重労働による健康被害を被っているドライバーの実態に憤り、行動を起こすことを決意。2010年に7,500人のリキシャ―ドライバーコミュニティをつくり、5年後にSMVを創業しています。
(Founder Naveenさん)
「今の社会には尊厳が足りていません」とFounderさんは言います。
全ての人が人間らしい社会の中で暮らしていくべきです。子どもたちには、誰かの尊厳が奪われている社会では育ってほしくない。本当の成功とは自分が成功することではなく、経済的、社会的に取り残されている誰かを支援することだと考えています
(まとめのセッションでは「2030年にどんな社会をつくりたいか」について個人・ペアで考えた)
(参加者同士のフィードバックは、付箋に書いてプレゼント)
ガンジス川で振り返り
SIMでは何度か「振り返り」の時間を設けられています。参加者同士で議論をしたり、日記のように思いをつづる「ジャーナリング」で自分自身と対話したり。最終日、現地最後の振り返りのため、夜明け前に向かったのがガンジス川でした。
「死後の世界」とされる川の向こう岸から昇る朝日を拝んだ後は、船の上で一つの輪をつくり、1週間にわたる旅を振り返りました。街のほうを見ると、火葬場からいくつもの煙の束が上がっていいます。静かな、冷たい早朝の空気の中での時間です。旅を通して、振り返りの時間にはさまざまな意見を聞くことができました。
「自分の仕事に誇りを持って働く人たちの姿が美しかった」「技術の押し売りではなく、生活者の視点が大事」「社会課題にビジネスを持ち込むことで、安定的に解決ができるようになる」「なんのために仕事をしているのかを改めて考えた」……。
もちろんインドと日本とでは、文化や環境が大きく違います。しかし、だからこそ、“働くこと”を問い直す本質的な言葉が多かったように思います。
一人は、こんなことを言いました。「自分はどこに立って仕事をしているのか、ゼロ地点に立ってリスタートしよう、と確認できた1週間でした」
Next Step Session
濃厚だった旅の日本での振り返りは、思わぬ形での開催となりました。新型コロナウイルスの感染拡大によって、同じ場所に集まって開くことが難しくなったからです。セッションは4月、オンライン会議システムを使って行われました。SIM全体のアドバイザーを務めた佐宗邦威さんは、全体セッションでこんなことを話しました。
この環境になり、企業がどういう貢献ができるのかが問われています。社会のためにできることは何か、それぞれの企業の存在意義が問い直されるフェーズに入っています。ただ、無理やりではなく、自分の周りを見ながら、現状を少しずつ受け入れて、少しずつ変化を起こしていくことが大切です
(インドでの佐宗邦威さん)
その後はグループに分かれ、「2030年に実現したい世界」についての発表です。
「誰も置き去りにしない、が改めて大事だと考えた」「共有できるビジョンをつくって、“やらされ感”をなくすことが重要だと感じた」「社内の新規事業公募制度にチャレンジしてみようと準備をしている」「社会課題の解決には“尊厳”について考えることが欠かせない」——。それぞれに、パワーポイントの共有をしながらの発表が続きます。
本田技研工業サステナビリティ企画部の技師、青木晋介さんはインドでの旅で「改めて会社のことが好きになった」と話します。
技術やアイデアで人間の可能性を伸ばすお手伝いをしよう、というのがホンダのビジョンです。会社の利点を生かして“この人たちの移動や生活を良くする”ためにできることを見つけ出そう、と考えられるようになりました
(本田技研工業の青木晋介さん)
ヤマハ発動機の安川里沙さんは人事部に所属しながら新規プロジェクトを立ち上げるプログラムに参加し、インドでの防災アプリの開発に取り組んでいます。「インドに来てから、夢は小さくなりました」と話します。それは決してネガティブな意味ではなく、実際に暮らす一人ひとりのことを見る大切さに気付くようになったからだと言います。
SDGsを考える時、どうしても上から目線になっていたなと思います。『この人たちを何とかしてあげよう』と。その姿勢がもしかしたら、その人たちと自分との距離を遠ざけていたのかもしれません。それって、自分の水準まで上げてあげようという考え方だと思うんです。でも、自分たちの現状が他者にとっての最適とは限りません。まずは人の話をよく聞いて、“人”を見た企画、製品開発をしていきたいです
(バラナシで、電気リキシャーを見る安川里沙さん)
最後のセッションで、「きょう、私は確信をしました」と、NECデジタルインテグレーション本部の本部長代理、尾川和之さんは言いました。
社会課題という言葉と向き合うためには”距離と高さ”という二つを考えるしかありません。課題の中にいる人たちとの距離を詰めて向き合うのか、自分たちのいる位置で周りにある課題と向き合うのか。“距離と高さ”、を意識してどこに自分を置くのか、何で貢献できるのかを探していくのか、ということだと実感しています
(最後はオンラインでの集合写真。この後、懇親会も続きました)
文と写真: 笹島康仁